④エンゲルベルト・ケンペル(ドイツ)

 エンゲルベルト・ケンペル(ドイツ)は長崎・出島オランダ東インド会社の主商館付き医師として1690年(元禄3)に来日しました。
医学・博物学・歴史学・地理学に造詣が深く、政治・社会・・文化の面においても研鑽を積んでいた人です。
92年に日本を離れるまでに2回、商館長の江戸参府に随行し、その間、観察し記録したものが『日本誌』にまとめられ、外国人による日本研究の白眉とされています。
ケンペルの観察は客観的に細かく、日本の街道の美しさ、田舎道に広がる田畑の風景の美しさを称賛し、街道のどのような小さな茶店にも必ずおかれている花瓶や鉢の花に注目し、店は粗末でも旅人を惹きつけるのに十分だと書いています。
途中寄った京都では庭園に注目し、その綿密構築された小宇宙に日本らしさを見ています。
16世紀の中ごろからヨーロッパでは内乱や侵略が繰り返され、戦争による動乱が絶えない時代が続き、血で血をあらう地獄絵図の様相を呈していました。
なかでもケンペルの祖国ドイツは最も壊滅的な打撃を受け、人口は3分の1に減ったと言われています。
一方、日本でのどかな街道を行く旅人や都市で平和に暮らす人々を見、さらにその平和の上に成熟した元禄の江戸文化をつぶさに見たケンペルはこうまとめています。
日本人の習俗、道徳、技芸、立ち居振る舞いの点でどの国民にも立ち優り、国内公益は繁盛し、肥沃な田畑の恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気性をもち、生活必需品は有り余るほど豊富であり、国内は不断の平和が続き、かくて世界でも稀に見るほど幸福な国民である。
ケンペルは鎖国の日本を羨望を込めて評価したのです。

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