⑧ヘンリー・ヒュースケン(オランダ)

 富士山の美しさは多くの外国人から称賛されていますが、そこの共通するのは全く情報を与えられないで、ある日突然富士山を見た素直な感動がほとばしり出ていることです。
ペリーに次いで日本総領事として1856年(安政3)に下田へやってきたタウンゼント・ハリス(アメリカ)の書記兼通訳として同道したのがヘンリー・ヒュースケン(オランダ)でした。
下田から江戸へ向かい、靴は破れ、足のまめはつぶれ、苦労して天城峠を越えたところで彼は初めて富士山を見て、今日はじめて見る山の姿であるが、一生忘れることはあるまい。
この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えないと一瞬呆然とし、やがて感動が襲ってきます。
私は感動のあまり思わず馬の手綱を引いた。
脱帽して、「素晴らしい富士山」と叫んだ。
頭に悠久の白雪をいただき、緑なす日本の国土に、周囲に敢然と隔てて聳えたつ、この東海の王者に久遠の栄光あれ!
並ぶものなくその秀容は羨むべきかなかと叫びます。
ヒュースケンは日本を愛し、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よと日本の真の理解者たらんとしました。
そうである故に、日本に開国を強いる当事者ながら、この進歩はほんとうの進歩なのか?
この文明はほんとうに日本のための文明なのか?
この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞き、どこにもひさんなものを見出すことができなかった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋人の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのであると逡巡するのです。
1861年(万延2)、ヒュースケンは芝赤羽で襲撃されて死亡します。
当時の尊大な外人に対する反感から行われたものと思われますが、皮肉なことに日本の真の理解者を殺してしまったのです。享年28歳でした。

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